人生最後の夏休み

 

 

 

人生最後の夏休みが始まった。

最後なんて言ってるけど厳密に言えば全然最後なんかじゃない。でも、こんなに長くて無責任で自由な夏休みは人生最後だ。

 

これまで幾度となく夏休みは過ぎていった。

小学生の頃は毎日のように近所の友達と遊んだり、親が旅行や海に連れていってくれたりした。そして夏休み最後の週に焦りながら宿題を一気に終わらせるような子だった。毎年今年は宿題を早めに終わらせるぞ!なんて計画を立ててはいたけれど上手く行ったことなんて一度も無かったと思う。今だってそうだ。人は中々変わらないんだなぁ。

 

中学生の頃は部活に明け暮れていて毎日朝から夕方まで練習をしていた。今思い返すとあれは間違いなく青春だった。あぁ、なんだか少し泣けてしまう。飽き性の私があれほどまでに打ち込めることに出会えたこと、仲間という存在ができたこと。笑ったり、泣いたり、悩んだり たくさんあったけどステキな夏休みだったよ。

 

高校生の夏休みは特に記憶がない。高校2年までは部活ばかりしていた。でも別に中学生の頃のように泣いたり笑ったり悩んだりはしていない。わりと“無”の境地だった。ステキな先輩、同級生、後輩には恵まれたし楽しかったことだっていっぱいあったのは確かだけど“無”だった。あれ、書いてて色々思い出してきたけど先輩のために後輩とお守りを縫ったり、運動場と海を見ながら楽器を吹いたり、部活帰りにお好み焼きみたいなものを食べにいったりしたんだった。“無”だと思っていたけれどどうやらそうじゃないらしい。何もかも“無”だったのではなく、無くなってしまったのは部活への熱量だった。それでも大好きな仲間とは離れたくなかった。あの頃はあの頃でステキな夏だった。

 

そして大学。これこそ無だ。

何にもない。

1年生の時は親が急に死んじゃったこともあり心も何もかも無でしかなかった。でも周りにはそんな風には見えなかったと思う。実際は東京に来たのに思ったのとは違うとも感じていたのも相まって虚無感でしかなかった。“病んでいた”と形容するのは簡単だけどそんなんじゃない。

2年生の時は合宿へ行ったり飲み会へ行ったり少しだけ大学生らしいことをした。そして秋からの留学への不安ばかり募っていた。

3年生の時は帰省して馬鹿みたいに友達と会った。最後の地元だと何となく決めつけて思い出を作ろうと決めていた。ひさびさにいろんな人に会えて良かった。

 

 

そして今。大学4年生の夏休み。

私は何をするんだろう。

就活というものをちゃんとしないといけないことは分かってる。それをするのは前提としてどう過ごそう。

モラトリアムが終わってしまう。

いつのまにか日は長くなって、

近くのコンビニまで歩くだけで汗ばんで、

日中に活動するのが怠くなる季節がきた。

 

「平成最後の夏」

最近Twitterでよくこのワードを見る。

夏という季節は多くの人にとって感傷に浸れる季節なんだと思う。そうじゃなきゃこんなに手垢が付くまで「平成最後の夏」という言葉を見る機会はないだろう。

 

もしもあの夏に戻れたのなら何か変わるだろうか。

もしもあの時違う道を選んでいたならどうなっていたんだろう。

生きる事は何かを選ぶことの連続で、選ぶということはその分何かを捨てているということで、そんなの考えたってどうにもならないことは分かってるけど、どうしてもあの時選ばなかった道について考えてしまう。

それは今の人生に満足していないからだろうか?

よく分からないけどきっと私は人生に満足してたって選ばなかった道について考えてしまうタイプの人間だ。

 

「キラキラしすぎると悲しくならない?」

嵐の櫻井翔くんがこう言ってた。

昔のことを思い出して「青春だったなぁ...悲しくなるね。」そう言った後の言葉だった。

私にもその気持ちは分かる。

何かに打ち込んでいたあの頃を思い出すと悲しくなるし、別に何気ない日々の出来事でも思い出すも悲しくなることだってある。

 

あとは、嵐のOh Yeah!って曲の歌詞に

「もう一度あの日に戻るとしても おなじ路選ぶだろう」って歌詞があって櫻井翔くんがこの歌詞が好きと言っていた。

 

「10年前、あのハワイの会見。
もう一度、もう一度あの日に戻るとしても、
きっと同じ道を選ぶだろうなって
強く思います。」

 

もう一度あの日に戻るとしても おなじ路選ぶだろう なんて言い切れる強さ。

私にはそんなのないから単純にすごいなって思う。

 

そんな風に強く言い切れる人間じゃないけど、

失った未来と今目の前にある道を見つめて

人生やっていくしかないんだなぁ。

 

平成最後の夏だからって特別な思い出なんて残りそうにないけれど、でもこんな風にとりとめもないことを考えてることだっていつか思い出したらキラキラしてて悲しくなるかもしれない。

だから特に何でもない日常も、その時考えたこともこうやって書きとめようと思う。

いつかこの日記を見返した時の自分はどう思うのだろう。

楽しみでもあるし怖くもあるなぁ

ありふれた女子大生になりたかった

 

 

 

どこにでもいるありふれた女子大生になりたかった。

 

私は特に秀でたこともないからありふれてると言えばありふれてる。

 

だけど、年に4回くらいはディズニーに行って、ストーリーを撮るために友達にカメラを向けて、カメラを向けられて、バイトに明け暮れて、サークルに明け暮れて、色恋沙汰をいくつか経験して、彼氏と喧嘩して、友達に彼氏の愚痴をいって、卒業旅行の計画を立てて、安い居酒屋で飲んで、無意味にオールして、単位がやばい〜なんていいながらちゃんと4年で卒業して、絵に描いたようなどこにでもいるありふれた女子大生になりたかった。

 

でもなれなかったんだよ。

いつだってそうだ。中学生の時は部活に明け暮れて楽しかったけど、最後の最後に仲良しのメンバーと疎遠になったことをきっかけに「高校生になったらこの子達のことなんて忘れるくらいめちゃくちゃ楽しんでやる!」なんて意地をはっていたけど無理だった。

あんなに熱中していた部活も、高校生になると燃え尽きてしまって途中で辞めてしまった。1年の頃は特に頭も良くないのに学年で1番の進学クラスに入ってしまって勉強にはついていけないし、クラスの雰囲気には息が詰まった。

2年はクラスも変わって自由にやれた。でも一緒にいる友達が少ししんどかった。割となにもかもどうでもいいし適当に過ごせればいいやと1年間結局その友達といた。

そして3年生。どうでもいいモードはそのまま、適当に高校生活を過ごしていた。

高校生ブランドというものがあることはあの頃の私にも分かっていたし、大人は制服を着たがるし、高校生に戻りたいって思う大人もいっぱいいることは知っていた。でも、そんなのどうでもいいからとっとと卒業して、上京して、新しい生活を新しい自分を手に入れたいと思ってた。

 

誰も私のことを知らない場所で、ありふれた女子大生になりたかった。それだけ。

 

別に青学のミスコンに出るような煌びやかな生活がしたかった訳じゃない。

ありふれた女子大生になりたかったんだよ。

 

友達が全くいないわけではないし、

別に病んでいるわけでもない。

大学がつまらないかと聞かれればよくわからない。

虚無。

 

周りを惹きつける魅力的なあの子は地元にいても、千葉県の田舎にいても、海外にいてもどこにいたって輝いたまんまのあの子だ。

私も地元にいても、東京にいても変わらない。変われない。

 

 

こうやっていつまでも変われないまま、いつまでもInstagramのリア垢をちゃんとできないまま、いつまでも友達には言えないコンプレックスを抱えて歳を重ねていくのか。

 

このコンプレックスが解消される日は果たして来るのか。

 

 

お菓子断ち宣言

ここ最近怠惰な生活を送っている。

学校に行って帰宅したらベットに横になってTwitterYouTube、インスタをずっと見ている。

気づいたら外は暗くなって、一日のほとんどの時間をそれらに費やしている。

そのため夜は眠れないし、昼は眠いしで本当に良くない!!!

 

そして更に良くないのが食生活。

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チョコ系+アイス+ポテチのコンボは最強。

充電期間を経て再始動したKAT-TUN並みに素敵なコンボですね。

 

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Twitterでみたメロンフロートを作ってみた。

ほんとに美味しかった。

有益な情報をありがとう、Twitter愛してる

 

 

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 新学期始まるということで気合いを入れた日の朝ごはん。

うん、こうみると朝からこんなに食べるなよ。って我ながら思いますね...

コーヒーとサンドイッチだけにしろ。

 

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 めちゃくちゃ適当に撮ったけどこれが今日。

たけのこの里+アイス+大玉チョコボール

(写真にはないけどその後とんがりコーンと友達からもらったじゃがりこを食べた)

 

 

いや、普通に良くない。

お菓子の食べ過ぎである。

たまにならいいけど最近は2日に1回お菓子を爆食いしてる。

 

普通女子大生って太ることを気にしてこんなにお菓子食べないと思うし、このお菓子爆食いについて友達に話すと案の定凄く驚かれてしまった...そしてお菓子だけじゃなくて普通にご飯もモリモリ食べるのでたちが悪いですね...デブ活♡とか言ってる子だってこんなに食べてないだろ...


そして普通に太りました!!

2日に1回爆食いしてたらそりゃ太るわな!!!

でも太るとか太らないとかの前に

糖尿病とか何かしらの病気のリスクが上がりそうで怖い。

健康はなによりも大切だと思うから病気にかかることは絶対に避けたい。

そして食費もかさむしよくないです!

 

 

というわけで、

私はここでお菓子断ち宣言をします。

今まではお菓子を食べる頻度を減らして徐々にお菓子がなくても大丈夫な状態に持っていこうと思っていたのですがなんか私にはその方法向いていないと気づきました!!!(2日に1回はokにしたら1回の量が凄いことになってきた)

なので完全に断つことにしました!!

 

とりあえず5/15までやってみます!

なお、友人と遊んだ日の外食スイーツはokとします(あんまり遊ばないからそこは大目に見てください)

お菓子中毒なのでこれが出来たら自分を褒めまくりたい...

 

食生活を改めることで生活リズムも整い、勉強とかやるべきことに集中できると思うのでこれを機に頑張ります!

「女は若くないと価値がない」

22歳になった。

もう22歳なんだ。自分でも驚く。

中高生の頃は誕生日がくると「やった〜!クラスのみんなより一足先に大人だ!!」なんて思ってたけど、今はもう誕生日がきても嬉しくない。寧ろ逆だ。

 

突然だけど、女は若くないと価値がないみたいな固定概念はクソだと思う。

そんなこという男には今すぐ往復ビンタからのアッパーと飛び蹴りをかましたい。

そして、そんなこという若い女の子、まだ20代前半とかなのに自分のことをババアとか言っちゃう女の子、たとえ冗談でもそういうのはやめてほしい。

 

大ヒットドラマ逃げ恥で若い女の子が自分の若さに価値を見出して、石田ゆり子さん演じる百合ちゃん(49歳)にマウントを取りまくって見下す場面があった。

そこで百合ちゃんが言った言葉。

「今、あなたが価値がないと切り捨てたものはこの先あなたが向かっていく未来でもあるのよ。自分がバカにしてたものに自分がなる。それって辛いんじゃないかな?」

「私たちの周りにはたくさんの呪いがあるの。自分で自分に呪いをかけないで」

 

ツイッターをみてると女子中高生が自分の若さに価値を見出してるのをよく見る。美容垢界隈なんて特にそうだ。歳を重ねれば重ねるほど価値が無くなると思っている子が多い。それだけでなく美しさに価値を置きすぎて美しくない人は無価値だと思っている子が多い。すごく過激で、危険な発想だなと思う。

百合ちゃんが言うところの“呪い”を知らず知らずのうちに自分にかけている。

 

 

でも、こんなこと言ってる私だって実は歳をとるのが怖い。“女は若くないと価値がないみたいな固定概念はクソだ”と先程言ったけれど、実際自分だって少なからずそう思ってる節があるのだ。だからこそ、女は若くないと価値がないという固定概念に立ち向かおうとしてこんなブログを書いてるんだと思う。そして、我ながら矛盾してるなとも思う。

私も知らず知らずのうちに自分に呪いをかけていたのか、それとも周りの価値観にのまれていたのかは分からない。

 

歳を重ねるのが嫌な理由はもう1つある。

未来が見えてしまうことだ。

これからの未来。

就職、結婚、出産、子供、孫、老後。 上手くいった未来はきっとこれだ。でも別にこんな未来を想像しても特に楽しみとは思わない。ありきたりで、分かりきった未来なんてつまらないなと思う。でも、こんなありきたりの未来がいかに幸せで尊いことか理解しているつもりだし、普通の幸せを得ることがいかに難しいかも理解しているつもりだ。

 

ただ、高校生だった自分、まだ何者にでもなれると思っていた、そして実際その可能性が大いにあったあの頃とは違う。今はありきたりな未来予想図が見えている。しかもこれは上手くいった場合の話で就職も結婚もできないことだってあり得るだろう。

 

 

あ〜なんか特に結論みたいなのはないけど、わたしの脳内思考整理や日々の記録のためのブログだから許してほしい。

 

 

 

これから4月11日を迎えるたびに私は今日のような悶々とした気持ちになるのだろうか。それとも何か変わる時がくるのだろうか。今はまだわからない。