布団に溺れているだけでは、なんにも、

眠い。眠い。

本当に眠い。

布団から出れない。

スマホをいじる。

夕方の鐘が鳴る。

そうこうしているうちに日が落ちていく。

 

布団に潜って溺れているだけじゃ何にも変わんない。

 

昔友達が「あーなんか楽しいことないかな」ってよく言ってたんだけどさ、そんなんじゃ楽しいことなんて見つからない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは下書きにあったやつ。

 

 

小中と仲良かった友達がどうやら結婚したらしい。

小学生の頃は暇で時間を持て余していたので、放課後は放送室で語り合ったり、家に遊びに行ったり、土日はお互いの両親にお願いしてアイススケートに行ったり海に行ったりお祭りに行ったり、親友なんて言って交換日記とかしていた友達。

中学生の頃は部活も一緒だった友達。所謂、“いつメン”みたいなものがあってその子も私も6人くらいいたいつメンの仲間だ。

でも中学3年生の頃、私以外のいつメンの子が同じ塾に通い出して、元々塾に通っていた私はその子達と同じ塾に行くことにはならず、なんだかそこから友情がズレていってしまった。

いつメンの中のAちゃんの好きな人とか、Bちゃんの彼氏とか、なんだかそういう話が聞こえてきて、私は全くそのような話を聞かされていなくて、でも一緒にいるときにそれっぽい話をしだすから私から聞けばいいものの、そういうのを聞けない意地っ張りな年頃で聞かずにいた。

別にハブかれてたとかそういうのではなかったと思う。その頃には部活も引退していて、放課後は塾に行く生活だったからクラスの違ういつメンの子とは会う機会もあまりなかったし。

 

中学3年生の頃、どこの高校に進学しようか私はずっと決められなくて、でも私以外のいつメンがA高校に行くっていうもんだから私はB高校にした。勿論それだけの理由で高校を決めたわけではないけど結構これがデカかった。

いつメンの子達なんて忘れるくらいB高校で私は高校生活楽しんでやる!なんて思ってた。

でも実際はA高校に進んだ皆は楽しい高校生活を送っていたようだし、B高校に進んだ私は高1のクラスで勉強についていけなかったのと入学当初に変な注目のされ方をしてしまったみたいでどう立ち振る舞えばいいのかが完全に分からなくなったこと、そして父親の病気も重なって辛くて中学生の頃描いていた日々は送れなかった。

 

中学卒業以来その子に会ったのは高校生になってすぐの頃いつメンで遊んだときと、中学の部活のOBが集まらないといけない行事みたいなので会って、それが最後。

 

あんなに仲良かったのにそれっきり。

私は人は変わりゆくものだし学生時代の友達と疎遠になることは珍しくないし、悲しいことでもないと思っている。

でも、地元にいると皆中学の集まりだ、高校のクラスの集まりだ だのそういうのばかりだ。

あまりにも人生が地続きで逃れることができない感じがして息苦しさを覚える。

別に中学や高校の頃何があったとかそういうわけではないんだけど。

 

なんで皆そうやって中高の友達だとかとまだ会えるんだろう。わたしにも数名会ったりする子はいるけれど。

なんだか社会不適合な気がする。

なんていうのかな、伝わってるか分かんないけどイメージ的に北関東とか北九州の「地元卍!」とかそういうんじゃなくて、ナチュラルなやつ。北関東も北九州もそんなに知らんけど。

 

結婚式を挙げるとなったら私はその中に呼ばれるのだろうか。

私はその友達のツイートでこんな風に色々思い出しているけど、友達は私のことなど少しも思い出すこともなく、存在すら忘れさられて、私以外の高校も同じだった“いつメン”と、私の知らない高校や大学や趣味で出来た仲間と私の知らない世界で地元との繋がりがありながら、これまでもこれからも生きていくんだろうなと思うとなんだか人生の差のようなものを感じた。人生の通信簿、あの子はオール5で私はオール1。

 

意地っ張りだった中学の頃と変わっていないじゃないか。そんなに言うなら連絡してみるといいじゃないか。地元に帰ってきてるよって言えばいいじゃないか。ツイートみたよ、おめでとうって言えばいいじゃないか。なんだかそんな地元の皆と比べると今の私は惨めで社会不適合で人に会いたくなくて、だから連絡なんか取れない。ほら、やっぱり意地っ張りじゃないか。お前だけ変わっていない。

 

私だけが取り残されている。

 

 

 

布団の中

最近何をするにもすぐに疲れてしまう。

少し動いただけでもうダメ、

勉強したって集中力がもたなくてダメ、

すぐに布団の中に引き返すことになる。

 

コロナで初めて社会の危うさというのを感じた。リーマンショックの頃はまだ子供だったからなんにも分かんなかったけど、コロナのあれこれを見ていると“なるほど、こういうことか”と思う。

マスクもトイレットペーパーも体温計も無くなっちゃうし、マスクなんて国を挙げてどうにかしようと注力してもまだまだ安定した供給とは程遠い。ここまでとは想像できなかった、驚いた。

 

日常なんて案外簡単に壊れていくものなんだな。

そしてわたしは布団の中から動けない。

 

あまり詳しいことは分からないけど収束するまで2年はかかるみたいな記事を読んだ。

こんな生活が2年も続くとしたらとてもじゃないが正気ではいられない。

 

社会の混乱の中でわたしのなかの混沌とした気持ちも不安も何もかも混ざって溶けて無くなって欲しい。そして沈鬱な夜なんか抜け出して暖かく爽快な朝を迎えたい。

 

 

果たしてこんな生活が終わる頃にはわたしの混沌とした気持ちも無くなっているのだろうか。

布団から出て沈鬱な夜を、みんなで抜け出したいね。

 

 

いつか暖かく爽快な朝を迎えられる日があなたにもわたしにもきますように。

June 1

明日は仕事だけどお昼寝しすぎて眠れないし日記でも書きます。これは読んだところで何の収穫もない文章ですので悪しからず。

 

昨日は家事とかやるべき事をやって飲みに出かけて、今日はずーーっとゴロゴロしながらSNS徘徊したりお昼寝したりしてた。本当は朝から遊びに行く予定だったんだけど友達も私も朝起きれなくてまた今度にすることにしたから何も予定なかったんだ

最近他の人がツイッターにあんまりいない気がして寂しい。いつか周りも自分もツイッターに飽きてしまったらどうしよう。そんなの嫌だな。

 

明日出勤するの嫌だしせめて新しい化粧品でも買って気分上げようと思ってドラッグストアに行ったら私が欲しかったマジョマジョのアイシャドウが売ってなくてびっくりしちゃった。その代わりにちふれのリップを買った。明日はオレンジメイクでもしよう。

そしてスーパーに寄ってお肉を買って、この間買ったパプリカと炒めて甘辛っぽく味付けよ〜と思って買ったはいいもののアボガドも買いたかったのも忘れてた🥑

なんか私っぽいなぁって思う。日が暮れてやっと動いたものの大切なものを忘れる みたいな感じが。一生こんな感じの人生な気がしてきた。

 

最近は仕事が嫌だ、なんてツイートをよくしてるけど私だって本当はマイナスな事呟きたくないし見てる人もつまんないだろうから控えたいんだけど壁打ちアカウントだから許して欲しいな、とも思う。

仕事が嫌な理由は周りにあるというよりは私にある。私の気の持ちようだし、私が努力したらいい話だ。最近はその努力する気が削がれてしまっていたけれど私の怠惰な気持ちは周りに伝わると思うし、未経験で入って何にも使えないのにその気持ちまで伝わってしまったらおしまいだ。どうにか、どうにかまた頑張ろうという気力を取り戻さなければ。

でもさ、辛いものはつらくて。

 

どこからが甘えで、どこからが甘えじゃないのか分からない。

きっと私は甘えなんだろうなとは思う。

周りの人がキツイわけではない。大体の人は優しく教えてくれる。同期なんかどうしてそんなに私に優しくしてくれるんだろうと思うくらい優しくしてくれる。言い方がキツイ先輩とかいるけれど耐えられないほどではない。トイレで泣いちゃったりしたけどそれは私のメンタルが弱いだけだ。

 

仕事出来ない身分で出しゃばるのもよくないなと思って大人しくしてようと思って静かにしてたら大人しいし、積極性が無いし、つまんない人間だって思われているような気がする。でも仕事出来ないのに無駄に話すのも申し訳ないと思ってしまう。

 

職場にいる自分があんまり好きじゃない

自分に存在意義なんてないし迷惑かけるばかりだしこのままいなくなりたいなぁなんて思う。

例えばどんなに好きな人と付き合っててもその人といる自分が好きじゃなきゃ別れた方がいい、というのはよく聞くし実際そうだと思う。でも、仕事は?

いや、そもそも職場にいる自分を好きな自分にするような努力はしたか?

していない。

でも仕事が出来ない身分で…って思っちゃう。その思考回路をどうにかするか、早く仕事に慣れるかしなしゃいけないのは分かる。でもそこまで頑張る気力がない。いや、でも頑張らなければいけない。

 

堂々巡りだ。

多分本当に仕事が辛い人からしたら甘ったれてると思うだろうしイライラすると思う。

ごめんなさい。

愛がなんだを観た

最近ツイッターで愛がなんだに対するツイートばかり目にして、本当はこの映画が上映される前から気になっていたのにも関わらず天邪鬼を発揮して「みんな愛がなんだ愛がなんだうるさいな!!!!!」と思っていました。でもそんな風に斜めに構えたりすることがダメなんだろうなと心を改め仕事終わりにレイトショーに駆け込んだ。レイトショーだっていうのに席が全部埋まっててびっくりした。

 

感想としてはテルコの気持ちまじでわかんない。舐められたら終わりじゃん。舐められたくない。舐めてかかってくるやつ全員殺すの気持ちで生きてるから本当にわかんない。

でも会社をクビになる程、周りの声なんかなにも聞こえなくなる程夢中になれる人がいるテルコが羨ましくもあるよね。普通にバカだなぁとは思うしそう言う風にはなりたくはないけどなってみたい。

 

愛とか恋とかわかんない…みたいなツイートたまにしてるけど好きなアイドルには笑っていて欲しい、美味しいものいっぱい食べて欲しい、なるべく悲しい経験はして欲しくない、日常に幸せが溢れていてほしいし、希望に溢れた未来が待っていてほしいと願わずにはいられない。この気持ち全部ひっくるめて愛だよね。この気持ちを現実の世界の人に向けていたらそれはきっと愛になるんだろうけど、そう考えると愛を愛で返されることの尊さったらすごいなぁ。

どっちか片一方の愛が大きくなりすぎたりして、きっと天秤が均衡に保たれているカップルなんてほとんどないんだろうな。それに好きの度合いを数値化したり可視化することはできないから難しいよね、知らんけど。

 

「愛がなんだ」の主人公、テルコは成田凌演じるマモちゃんのことを心底好きになって、成田凌に呼ばれたらたとえ家でお風呂に入ってたってすぐに準備して飛んでいくし頼まれてもないのに勝手にマモちゃんのお風呂場を掃除しだすし、靴下や下着は綺麗に畳んで収納しだすし、「ビールないや」とマモちゃんが言えばすぐに買ってくると言うしで、マモちゃんにとっては「そういうのが嫌だった」

 

でもマモちゃんだって惚れてる相手には、どんなにクソつまんない話でも笑顔で頷くしグラスが空いていたらすぐにワインを取りにいくし目でずっと追っちゃうし溢れんばかりの好きです!という気持ちが顔に書いてある。でもそのマモちゃんに惚れられた人からすると「そういうのが嫌だ」

 

「惚れた方が負け」とはよく言うけど私もそう思う。別に勝負じゃないんだし勝ち負けなんかないのにね。でも負けだと思ってる 臆病だから。

だから勝ち負けとかくだらないこと考えずに突っ走るテルコになりたいし、なりたくない。

「あまりに愛が大きすぎると失うことを思ってしまうの 自分がもどかしい今だけを見て生きていればいいのにね」

っていうフレーズを思い出すわ。

これはKinKi Kidsの愛のかたまりという曲の歌詞の一部なんですけどこれを作詞したのが堂本剛さんなんですよ、めっちゃすごい、天才かよ、分かる って感じですね。

 

まあ愛とか恋とか無縁だけどまぁ普通に楽しく生きてるし恋愛なんてただの娯楽の一種でしかないし、くらいの気持ちで適当に生きていこ〜と思いました。本当にそれでいいのかは知らん。

 

 

 

 

ずっと足踏みをしているような1年だった

2018年、終わりますね。

毎年1年を振り返ってはいるけれど、これほどまでに振り返りたくないと思う1年は久々だ。

 

最後の学生生活、就活、卒論、単位、なりたかった自分、過ぎ行く時間、戻れない過去、家族、友達。

なんとなくモヤモヤして、気分が晴れない。そんな1年だった。

何か成長したかと言われると何にも成長はしていない。ただずっとそこで足踏みをしているだけ。いつか前に進める日は来るのか?そもそも前ってどこだ?何故進めないんだ?

 

2018年を表す言葉は?って聞かれたら

“虚無”が真っ先に思い浮かぶ

生きているのに死んでるみたいだった。

なんにもない、空っぽ。

 

 

私を置いていかないでほしい。

来年はもっとちゃんとしたい。

私も追い付きたい。

生活習慣の狂いは自己肯定感の狂い

気づいたら朝方に寝て夕方4時に起きるような生活を送っている。

 

生活習慣が狂っている影響でベッドで横になってスマホを弄るだけの日々。

そんな中昨日はとあるアイドルのことを知った。

彼は芸能活動も勉強も頑張り大学に進学することを考えていた。大学進学が仕事に良い影響をもたらすことも見越してのことだった。そして、受験勉強に専念するために半年間だけ仕事を休み、必ず合格して戻ってくるとファンに約束した。仕事を休んでいる間は毎日朝6時に起きて夜12時まで勉強して、国公立の大学(国立か公立かはよく分からない)に宣言通り合格し、また仕事に復帰したらしい。

 

彼は私よりも歳下なのにかっこよくて面白くて頭も良くて努力もできる。

 

私には特にいいところはない。

一番駄目だなぁと思うところは努力ができないところ。私の尊敬する芸能人は皆努力ができてカッコいいし私もそういう人になりたいなと思っているけれどいつまで経ってもそういう人にはなれない。自分に甘い。

 

でも最近思うのはこの歳になると分かりやすい頑張り所、努力するべき所っていうのが少なくなってきた気がする。

テスト前とかは頑張り所だけどそんなの短期決戦だし、正直そこまで頑張らなくても別に大丈夫だし……

就職活動とかも頑張り所だけど正解がわからない部分が大きい。

高校生が第一志望の大学へ合格することを目指して勉強したり、野球部が甲子園出場を目指して毎日部活に明け暮れたりするような“夢中になれる何か”が私にも欲しい。

22歳、大学4年生の自分が夢中になれる何かってなんだろう。

アイドルは夢中になれるけど、それは受動的なものだから自分が何かに向かって頑張るようなものがほしい。

 

このまま適当に生きて歳をとっていくだけなのが怖い。私には何もないのが怖い。年々1年が過ぎるのが早く感じるのが怖い。

そうこうしている間にも時間は過ぎていくわけで…怖い。怖いと思うけれど何もしない自分にも腹がたつしそれでも何もする気がおきない。

 

とりあえず生活習慣を正さなければいけない。

こういう事を考えることはよくあるけど

生活が駄目すぎて何もする気がおきなくて余計に自己肯定感が低くなってしまう。

 

あぁ、もっと明るいブログが書きたいな。